「闘病」という言葉が、しっくりこなかった話。

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「闘病」という言葉が、ずっとしっくりこなかった。


わたしが最初に診断を受けたのは、もう24年以上前のことです。

それからいくつもの病名が増えて、いくつもの病院に通って、いくつもの薬を試してきました。

そのたびに、よく言われました。

「病気に負けないで」
「前向きに闘って」
「きっと乗り越えられる」

善意から出た言葉だと、わかっています。
でも、なんだか、ずれていた。


「闘う」相手って、誰のことだろう

闘病、という言葉を分解すると、「病と闘う」になります。

でも、病気はわたしの外にあるものではありません。
耳の神経も、メンタルの状態も、身体のしんどさも、ぜんぶわたし自身の一部です。

それと「闘う」のは、なんだか、自分と戦っているような気がして。

調子が悪い日は「負けた」ことになるのか、と思うと、ますます苦しかった。


「共病」という言葉に、少し楽になった

あるとき、「共病」という言葉に出会いました。

病気と共に生きる、という意味です。

闘うのではなく、一緒にいる。
追い出そうとするのではなく、今日も隣にいるんだな、と認める。

それだけで、何かが変わった気がしました。

病気が「敵」ではなくなった分、自分を責める回数が、少し減った。
調子の悪い日を、「負け」と思わなくていい日が、少し増えた。

変わったのは病気ではなく、病気との距離感だったのかもしれません。

温かみのある木のテーブルに置かれたマグカップと、ゆっくり立ち上る湯気。窓からの柔らかな光と、遠くにキャンドルの灯りが見える、静かな朝のイメージ。

このサイトの名前の話

だから、このサイトのカテゴリのひとつを「共病という生き方」にしました。

治すとか、乗り越えるとか、そういう話はここでは書きません。
ただ、こんなふうに付き合ってきた、という記録を残していきます。

同じような感覚を持っている人がいれば、それだけで十分です。

※ これはわたし個人の考え方です。「闘病」という言葉が支えになっている方を否定するものではありません。


書いた人のことが気になったら。

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