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共病とは、病気と闘うことをやめて、共に生きることを選んだ生き方のことです。
闘病でも、克服でも、完治でもない。治らない病気を持ちながら、それでも今日を生きていくための考え方です。
共病という言葉が生まれた背景
私は2002年の夏、緊急入院で余命2週間と宣告された。本人には知らされなかった。だから病棟を歩き回り、会社にも顔を出していた。
その後も余命宣告を2度受けた。うつ病、パニック障害、冠攣縮性狭心症、非アルコール性脂肪性肝炎、両側聴神経鞘腫、神経線維腫症2型。12の傷病と24年の通院が積み重なった。
転換点になったのは、消化器内科の先生の一言だった。「通院は、生涯終わることはありません」。
余命宣告より、重かった。完治という出口が静かに消えた瞬間だった。数日間は受け入れなかった。でもある日、腑に落ちた。治らないなら、一緒に生きるしかない。そこから「共病」という言葉が生まれた。
共病は諦めではない
共病を諦めだと思う人がいるかもしれない。違う。
「治す」に使っていたエネルギーを、「今日を生きる」に使えるようになった。検査値が悪くても一喜一憂しなくなった。通院を「戦いに行くこと」から「状態を確認しに行くこと」に変えられた。
続けることが、一番の治療だと気づいたのは、共病に切り替えてからだった。
2002年と今はつながっていた
最近になって知った。2002年の大動脈解離と、現在も通院している冠攣縮性狭心症は根が同じだった。高血圧、重度の動脈硬化、生活習慣病。一本の線でつながっていた。
「治った」と思っていたのは、慢性期に移行しただけだった。病気は消えていなかった。形を変えながら、24年間ずっと一緒にいた。
それを知ったとき、不思議と腹は立たなかった。「そうか、ずっと一緒にいたんだな」という感覚だった。それが共病という生き方の、原点だと思っている。
共病に関連する記事
共病という生き方にたどり着くまでの24年を、以下の記事で詳しく書いています。
- 余命2週間を知らなかった日|24年目の通院記録
- 「生涯終わることはない」と言われた日|共病・24年の転換点
- 死にたくない自分と死にたい自分|うつ病・狭心症・共病が重なった頃
- 耳が聞こえなくなるということ|難聴と孤独の24年
- 難病と24年の通院で残ったもの|共病という生き方
Kindle本について
24年間の通院記録を一冊にまとめた本があります。共病という考え方にたどり着くまでの話を、正直に書いています。
『12の傷病と耳の難病、24年目の通院記録【共存篇】』(Amazon)
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