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余命宣告を3度受けた。それでも動じなかった。「今回も乗り越える」という根拠のない確信が、毎回あった。
でも、ある言葉には動じた。
消化器内科の先生に、ふと聞いたことがある。「通院は、いつまで続きそうですか?」
「生涯、終わることはありません」
その言葉が、頭の中でしばらく動かなかった。
余命宣告より、重かった
余命宣告のときは、どこかで「今回も乗り越える」という気持ちがあった。これまでの生き方がそうだったから。乗り越えることが、自分の生き方だと思っていた。
でも「生涯終わることはない」は、そういう話ではなかった。戦う相手がいなくなった、という感覚だった。完治という出口が、静かに消えた瞬間だった。
数日間は受け入れなかった。「医学的にはそうでも、自分は違う」と思い続けた。
でも、ある日ふと腑に落ちた。

戦うのをやめた理由
治らないなら、一緒に生きるしかない。
「共病」と呼ぶことにした。共に病む、ではなく、病と共に生きる。
戦うのをやめてから、通院の意味が変わった。以前は「また悪い数値を確認しに行く場所」だった。今は「今月の自分の状態を確認する場所」になった。同じ行動が、全く違う体験になった。
検査値が赤くても、一喜一憂しなくなった。続けることが一番の治療だと気づいたのは、それからしばらく経ってからのことだ。
先生との関係
「生涯終わることはない」と言った消化器内科の先生は、私と同じ年の生まれだった。子どもも同じ年、同じ幼稚園に通っていた。
3回目の余命宣告を告げたのも、その先生だった。妻にではなく、私に直接。「息子が幼稚園を卒園するまでは頑張らないと」と、医師の立場から寄り添ってくれた。幼稚園の運動会にも、発表会にも来てくれた。
余命を告げながら、一緒に生きてくれた先生だった。
その先生の言葉だから、受け入れられたのかもしれない。
諦めではない
共病を、諦めだと思う人がいるかもしれない。
違う。戦いをやめることで、初めて使えるようになったエネルギーがあった。「治す」に使っていた力を、「今日を生きる」に使えるようになった。
それが共病という生き方の、私なりの定義だ。
24年間の通院記録を一冊にまとめた本があります。共病という考え方にたどり着くまでの話を、正直に書いています。
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