耳が聞こえなくなるということ|難聴と孤独の24年

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話をするのが、大好きだった。知らない人と話すのも、仲間と飲むのも、全部好きだった。

その私が、だんだん外に出なくなった。

補聴器をつければ普通に生きられると思っていた

小学校から高校まで、一つ上に補聴器をつけた先輩がいた。話したことはなかったけれど、毎日普通に生活していた。だから私はずっと思っていた。補聴器をつければ、聞こえない部分は補えると。

いざ自分がその立場になってわかった。

補聴器は、会話を「聞こえるように」するものではなかった。複数の人が同時に話す場では、音が混ざり合って何も聞き取れなくなる。仲間との集まりで、気づいたら会話についていけなくなっていた。

笑い声が聞こえる。でも何がおかしいのか、わからない。みんなが盛り上がっている。自分だけ取り残されている。仲間はずれ、という感覚だった。いじめに遭っているような、惨めで悲しい感覚。でも誰も悪意はない。わかっているから、余計につらかった。

仲が深いほど、孤独が深くなる

友人たちは私の耳のことを知っている。それでも遊びに誘ってくれる。「俺たちの仲だから」「みんな分かってる」と言ってくれる。逆の立場だったら、私も同じことを言っていたと思う。それが友達だから。

でも実際は、仲が深い友人ほど孤独が深くなった。

仲が深いということは、あの頃の私を知っているということだ。話し好きで、場の中心にいた私を知っている。その人たちの前で、会話に入れない自分がいる。昔の自分との落差が、鮮明になる。

次第に、人の集まりが怖くなった。誘いを断るようになった。孤独は深まるばかりだった。

当事者になって初めて見える世界

携帯電話のショップを数店舗運営していた頃、うちの店は耳の不自由な方の御用達になっていた。理由は単純だった。簡単な手話の挨拶をして、コピー用紙の裏に書いて会話した。気兼ねなく来られる場所として、口コミで広がっていった。

当時の私には、日常業務の一コマだった。

自分が顧客の立場になってわかった。同じ接客を受けたことが、一度もない。役所でも病院でも。

普通の接客が普通じゃなかった、と初めてわかった。うちの店が他店を圧倒していた理由が、その時になって腑に落ちた。

当事者になって初めて見える世界がある。難病も、孤独も、同じだと思う。

耳が聞こえなくなるということ。仲が深い友人ほど孤独が深くなる、難聴と孤独の話。

難病より、孤独の方が辛かった

余命宣告を3度受けた。うつ病の地獄も知っている。それでもあの頃の私に一番堪えたのは、孤独だった。

病気は一人で抱えられる。でも孤独は、人との間にしか生まれない。誰かがいるから孤独になる。仲の良い友人がいるから孤独になる。

難病の診断名より、「友人の笑いについていけなかった夜」の方が、今も鮮明に残っている。

24年間の通院記録を一冊にまとめた本があります。難聴と孤独のことも、正直に書いています。

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