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話をするのが、大好きだった。知らない人と話すのも、仲間と飲むのも、全部好きだった。
その私が、だんだん外に出なくなった。
補聴器をつければ普通に生きられると思っていた
小学校から高校まで、一つ上に補聴器をつけた先輩がいた。話したことはなかったけれど、毎日普通に生活していた。だから私はずっと思っていた。補聴器をつければ、聞こえない部分は補えると。
いざ自分がその立場になってわかった。
補聴器は、会話を「聞こえるように」するものではなかった。複数の人が同時に話す場では、音が混ざり合って何も聞き取れなくなる。仲間との集まりで、気づいたら会話についていけなくなっていた。
笑い声が聞こえる。でも何がおかしいのか、わからない。みんなが盛り上がっている。自分だけ取り残されている。仲間はずれ、という感覚だった。いじめに遭っているような、惨めで悲しい感覚。でも誰も悪意はない。わかっているから、余計につらかった。
仲が深いほど、孤独が深くなる
友人たちは私の耳のことを知っている。それでも遊びに誘ってくれる。「俺たちの仲だから」「みんな分かってる」と言ってくれる。逆の立場だったら、私も同じことを言っていたと思う。それが友達だから。
でも実際は、仲が深い友人ほど孤独が深くなった。
仲が深いということは、あの頃の私を知っているということだ。話し好きで、場の中心にいた私を知っている。その人たちの前で、会話に入れない自分がいる。昔の自分との落差が、鮮明になる。
次第に、人の集まりが怖くなった。誘いを断るようになった。孤独は深まるばかりだった。
当事者になって初めて見える世界
携帯電話のショップを数店舗運営していた頃、うちの店は耳の不自由な方の御用達になっていた。理由は単純だった。簡単な手話の挨拶をして、コピー用紙の裏に書いて会話した。気兼ねなく来られる場所として、口コミで広がっていった。
当時の私には、日常業務の一コマだった。
自分が顧客の立場になってわかった。同じ接客を受けたことが、一度もない。役所でも病院でも。
普通の接客が普通じゃなかった、と初めてわかった。うちの店が他店を圧倒していた理由が、その時になって腑に落ちた。
当事者になって初めて見える世界がある。難病も、孤独も、同じだと思う。

難病より、孤独の方が辛かった
余命宣告を3度受けた。うつ病の地獄も知っている。それでもあの頃の私に一番堪えたのは、孤独だった。
病気は一人で抱えられる。でも孤独は、人との間にしか生まれない。誰かがいるから孤独になる。仲の良い友人がいるから孤独になる。
難病の診断名より、「友人の笑いについていけなかった夜」の方が、今も鮮明に残っている。
24年間の通院記録を一冊にまとめた本があります。難聴と孤独のことも、正直に書いています。
『12の傷病と耳の難病、24年目の通院記録【共存篇】』(Amazon)
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共病という生き方の全体像は、共病とは何か|12の傷病と24年の通院記録から考える生き方にまとめています。
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