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24年間、通院を続けた。
余命宣告を3度受けた。12の傷病と向き合った。2025年には神経線維腫症2型で難病指定を受けた。それでも今日も通院している。
24年続けてわかったことを、書いておきたい。
病気は消えていなかった
2002年の緊急入院から、ずっと「次こそ治る」と思っていた。でも最近になって知った。あの夏の大動脈解離と、今も通院している冠攣縮性狭心症は、根が同じだった。高血圧、重度の動脈硬化、生活習慣病。一本の線でつながっていた。
「治った」と思っていたのは、慢性期に移行しただけだった。病気は消えていなかった。形を変えながら、24年間ずっと一緒にいた。
それを知ったとき、不思議と腹は立たなかった。「そうか、ずっと一緒にいたんだな」という感覚だった。
戦うことをやめた日
転換点は、消化器内科の先生の言葉だった。「通院は生涯終わることはありません」。
余命宣告より、重かった。完治という出口が、静かに消えた瞬間だった。
でも、その言葉が私を楽にした。治すことに使っていたエネルギーを、今日を生きることに使えるようになった。
共病。病気と共に生きる、という言葉が自分の中に落ちた。
24年間で変わったこと
通院の意味が変わった。以前は「また悪い数値を確認しに行く場所」だった。今は「今月の自分の状態を確認する場所」だ。
検査値が赤くても、一喜一憂しなくなった。続けることが一番の治療だと気づいてから、通院が途切れなくなった。
主治医との関係も変わった。闘う相手ではなく、一緒に管理してくれる人になった。
24年間、変わらなかったこと
語れないことが、いくつかある。生死の際で感じたこと。深層心理に蓋をした出来事。それは書かない。
でも、変わらなかったことは書ける。
「今日も生きている」という事実だ。余命2週間と言われた夏から、24年経った今日も、私は生きて通院している。それだけが、変わらない事実だ。

同じ場所にいる人へ
治らない病気と向き合っている人に、一つだけ言えることがある。
続けることが、一番の治療だ。
派手な克服の話ではない。うまくいかない日が続いても、通院だけは続けた。その積み重ねが、今日につながっている。
24年間の通院記録を一冊にまとめた本があります。共病という生き方の全部を、正直に書いています。
『12の傷病と耳の難病、24年目の通院記録【共存篇】』(Amazon)
Kindle Unlimitedに加入されている方は、追加料金なしでお読みいただけます。
共病という生き方の全体像は、共病とは何か|12の傷病と24年の通院記録から考える生き方にまとめています。
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