今もまだ続けている、という現在地

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今もまだ、続いている。

治った話ではない。乗り越えた話でもない。
ただ、今日もここにいる。それが今の現在地だ。

なぜ続いているのか、少しだけ書こうと思う。
答えはひとつではないが、言葉のことが、一番大きいと感じている。


言葉を、少し意識して選ぶようになった

「共病」も、「協働」も、日常ではあまり使われない言葉かもしれない。
それでも選んでいるのは、言葉には不思議な力が宿っていると、わたしが信じているからだ。


ある実験の話

知り合いの開業医の先生が、こんなことをしていた。

入院患者さんのいる病室に、「ある言葉の波動」を無音で流した部屋と、そうでない部屋。
それぞれのデータを取り続けて、ある結果を導き出した。

先生は、言葉には音として聞こえない次元でも、何かが伝わるかもしれないと考えていた。
わたしにはそれを証明する手段がない。でも、否定できる根拠もない。

そして、この話を聞いてから、口から出る言葉をもう少し丁寧に扱おうと思うようになった。


基準は「耳ごこち」

言葉を選ぶとき、自分が意識していることがある。

「これを逆の立場で聞かされたとき、耳ごこちが良いか。それとも不快か。」

たとえば「闘病」は、どこかに敵を想定している言葉だと感じた。
「共病」は、一緒にいる、という感覚がある。
「協働」も同じで、対立ではなく、隣に立つイメージがある。

正解かどうかはわからない。
ただ、自分が言われたとして、聞いて楽になる方を選ぶようにしている。


できない日のこと

意識して言葉を選べない日もある。

体調が悪い日、気持ちが沈んでいる日、余裕がない日。
そういうときは、荒れた言葉が出ることもある。
自分に向かって、きつい言い方をしてしまうこともある。

そのとき、できるだけ自分を責めないようにしている。

「できない時もある」ということ自体が、共病で生きることの一部だと思うから。
責めてしまったとしても、また気づいたときに、少しだけ戻ればいい。

マグカップとキャンドルがともに並ぶ、続いていく日々の温もりを感じるイメージ

ヒントは言葉にある、と思っている

共病で生きるヒントがどこにあるか、と聞かれたら。

今のわたしの答えは、言葉だ。

治療法でも、薬でも、根性でもない。
毎日の、小さな言葉の選び方のなかに、何かがある気がしている。

自分に向ける言葉。
家族に向ける言葉。
傷病に向ける言葉。
今日を過ごすための言葉。

全部うまくはできない。でも、意識していることは変わらない。
それが今も、ここにいる理由のひとつなのかもしれない。

このシリーズを最後まで読んでくださってありがとうございました。完結した話ではありませんが、続きはきっとまた書きます。

共病という生き方の全体像は、共病をAIに頼って、今日を生き延びた記録。にまとめています。