通院が、日常になった日のこと。

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ある朝、病院の待合室で、
「ああ、ここ知ってる」と思った。

通院が日常になった日のこと - 誰もいない静かな待合室のイラスト

いつもと同じ椅子に座って、
いつもと同じ番号札を握って、
いつもと同じ順番を待っていた。

特別なことは何もなかった。
ただ、「慣れた」と気づいた。

2002年から通い始めて、24年になる。


最初は、怖かった。

最初に病院に行ったとき、診察室のドアが重かった。

何を聞かれるのか。
なんと答えればいいのか。
どんな結果が出るのか。

検査の前日は眠れなかったし、
結果を聞く日は朝から手が震えた。

あのころの自分には、「通院が日常になる」なんて想像もできなかった。


いつの間にか、知っている場所になっていた。

何年かが経って、気づいたことがある。

待合室のどの席が静かか、知っている。
受付の流れを、説明されなくても把握している。
混む曜日と、比較的空いている時間帯を、体で覚えている。

「ここ、知ってる」という感覚。

それが、怖いことなのか、
それとも単に時間が経ったということなのか、
しばらくよくわからなかった。


慣れる、ということ。

慣れるというのは、麻痺することではないと思う。

怖いものが怖くなくなるわけでもない。
結果を待つときの緊張は、今も変わらない。

ただ、「ここに来ること」自体は、
もう非日常ではない。

靴を履いて外に出ることと、
同じくらいの重さになっている。

そのことを、良いとも悪いとも、今のわたしには言えない。


今も、通っている。

24年目の今も、月に何度か病院に行く。

傷病は増えたし、担当の先生も何人か変わった。
聞こえなくなった耳は、もう戻らない。

それでも、待合室に座って、
番号を呼ばれるのを待つ時間は、
わたしの日常の一部になった。

特別なことでも、不幸なことでもなく、
ただの、一日の中の一コマとして。

それが何を意味するのかは、読んでいるあなたが決めてください。
わたしは、ただ、そうなった、ということを書いておきたかった。


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